2021年04月07日

「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」まぼろしのロケ地をさぐる

「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」といえば真っ先に思い浮かぶこのスチル、はたしてロケ地はいったいどこなのだろうか……というお話。オチを先に明かすと資料の少なさと現地の変化のため特定には至っていない。それでも良ければ読んでください。
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本作で怪ロボット・ダレスと俳優が絡む海岸シーンは「①太陽族のキャンプに現われる怪ロボット」「②高島・江畑のモーターボート操縦と海中散歩」「③高島・江畑の浜辺での語らいとそれを襲う怪ロボット」の3つあり、劇中の設定ではいずれも駿河湾に面した静岡県の「伊豆の西海岸」ということになっている。
都内各所でのロケについて推測できるような材料はほとんどないが、遠方でのロケは当方のウェブサイト「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃 文章資料集」でも紹介してあるように当時のマスコミでこまめに報道されているため、この中からロケ地を探る手がかりを探してみよう。

マスコミが報道した記事のうち「真鶴での海中撮影」と読み取れるロケは新東宝特殊技術課が昭和31年9月7日に行なったものであることが判明している(日本映画技術協会の機関誌「映画技術」第64号や「朝日新聞ジュニア版」9/30号の記事にて明記)。このとき新東宝特殊技術課が行なったのはプリンプとよばれる防水性の外殻に仕込んだカメラを使っての海中撮影で、これは前月16日から日本で公開され美しい海中撮影シーンが話題を呼んだ仏伊合作映画「沈黙の世界(Le Monde du silence)」に影響されての意欲的な挑戦だったが、水温や水流、透明度など様々な要因によって思うように撮れなかったと前述の「映画技術」誌にスタッフが反省の弁を記している。翌年、新東宝は「海女の戦慄」などでヒロインの水中遊泳シーンを実現しているが、この時の失敗を教訓としたのだろうか、水中遊泳シーンはおそらく海中ではなく水槽を使って撮影しているように感じられる。

本作は9月2日に特撮シーンの撮影からクランクインし、本編撮影は9月6日開始を予定していたが、キャスティング上のトラブルによってずれ込み、「サンケイスポーツ」が9月11日号で「高島忠夫、江畑絢子に決定」と報じるまでは主演俳優すら決定していなかった。このことから9月7日の真鶴ロケには高島・江畑の同行はなかったと推測している。9月18日「新夕刊」の記事では「二人が海中に飛びこむ場面で、神奈川県真鶴海岸で撮影された」と報じられているが、背格好が似ている代役を使えば俳優本人が飛びこまなくても撮影は可能だろう。

真鶴と判明した海中撮影以外で、ロケについて触れた報道には次のようなものがある。
9/22付 名古屋タイムズ「伊豆ロケ、水中撮影からクランク・イン」
9/27付 東京中日新聞「葉山ロケ
10/8付 オールスポーツ「このほど行われた伊豆静浦ロケで、この気味の悪い怪物に抱きすくめられた江畑」(10/9付 夕刊京都も同じ)
10/11付 東京中日新聞「葉山ロケ
11/3付 週刊東京「円盤の中から出現したロボット 強烈な光線を吐き すべてのものを燃焼させるが無気味な姿を葉山海岸に─」

このうち9月22日付「名古屋タイムズ」にある「伊豆ロケ、水中撮影からクランク・イン」の「伊豆ロケ」は、実際のクランクインが真鶴海中ロケで始まっていることから、「伊豆での撮影」ではなく「劇中でいう伊豆西海岸シーンの撮影」という意味であろう。
10月8日付「オールスポーツ」の記事は文脈のまま解釈すれば③のシーン(冒頭で示したスチルと同じ同一ロケ地)が劇中設定のとおり伊豆西海岸の沼津市静浦で撮られたことを指しているようなのだが、国土地理院の空撮を見た限り、静浦には冒頭のスチル写真に見られるような“浜辺の真後ろに断崖が突き出ている地形”が見当たらない。静浦は当時から漁港として栄えている町で、浜辺があればそこには引き揚げられた漁船がひしめき合っており、とても“恋人同士の語らい”に使えそうなロケーションとは思えない。
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この中で最もスチルに似通っているのは現在“多比港新護岸"がある岬の突端(左図の赤枠部分)だろうか。当時はまだ県道414号が貫く多比第一隧道は無く(昭和37年3月竣工)、漁船溜まりとなっている砂浜を越えて突端まで歩いていけばスチル写真に近いロケーションが得られたであろうと考えられる。
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しかし……8年後に関沢新一が脚本を手がけた「モスラ対ゴジラ」の静浦ロケ(劇中では「静ノ浦」)のように漁村を巻き込むほどのメイン舞台となるならともかく、伊豆箱根をわざわざ超えて、こんな小さな岬の端っこの小さな浜辺でデート場面を撮るのだろうか?という疑問が拭えないでいる。「伊豆静浦ロケ」というのはイメージとして伝えた方便か、静浦ロケが実在したとしても冒頭のスチル写真の撮影地とは異なるのではないかと思う。

「東京中日新聞」は9月27日付と10月11日付の記事で「葉山ロケ」と報じている。同様に「葉山」という地名を出しているのが「週刊東京」11月3日号の記事で、文脈から①太陽族のキャンプ地にあらわれる怪ロボットのシーンを指しているようなのだが、このスチル写真の背景に写りこんでいるようななだらかな稜線の見える浜辺(※建築物が間近にみえることから、そう大きくない入り江と思われる)もまた、葉山近辺には見当たらない。実際に葉山町を訪問し、大浜海岸および森戸海岸で地元の方に聞き取り調査を行なった際には、誰もこのような稜線に見覚えはないようであった。
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「葉山」にこだわらなければ、これに近いロケーションが「真鶴」にある。岩海岸(岩海水浴場)は浜辺が描く孤の適度な大きさといい、稜線や建築物の大きさといい、このスチル写真にかなり近い。昭和31年当時は背景にまたがる岩大橋も無かっただろうし、浜の護岸工事や稜線の法面保護工事もされていなかったのだろう。これはあくまで推測であり、確証は得られていない。
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実は私は、冒頭スチル写真のロケ地が葉山町と横須賀市秋谷にまたがる景勝地・長者ヶ崎の南側の浜辺ではないかと、かねてから目星をつけていた。葉山町を訪問したのはGoogleマップのストリートビューや3D表示では確認しきれない確証が欲しかったからだ。
ネット検索で得られる情報によれば昭和30年代までは南側一帯の海岸も海水浴場としてにぎわっていたという。戦前の古写真(絵葉書)では岬にはもっと砂や土が残っており、県道から斜めに降りて行ける道もあり、長者ヶ崎の突端にはりっぱな釣堀が写っている。有名な観光地であれば映画のロケ地に使われることは十分にあり得るではないか。
ところが現地へ行ってはじめて、ここが単なる観光地ではなく、現在では県有トラスト緑地「長者ヶ崎緑地」に指定されており、加えて、岩盤がたびたび崩落し危険であることから付近への立ち入りが禁止されていることを知った。おまけに嘘か本当か「近隣住民がどこからか監視していて不審な人物がノコノコ近づくとたちまち通報されて警察が来るぞ」とまで聞かされたのである。とはいえ岬の周辺の海上には、大学のヨット部かカヌー部なのか一般サーファーなのかわからないが、その道ひとすじとおぼしき人が大勢いる。そういう人であれば地元では不審者とは見られないということであろう。
私は浜へ降りるのは諦め、南側に伸びる秋谷海岸のはるか上にある県道134号線のカーブ手前からデジカメを突き出して眼下を望遠撮影してみた。わりあい冒頭のスチル写真に近い構図の写真が撮れたのでそれで納得することにした。
いま見比べてみると、スチル写真には長者ヶ崎の「突端」(戦前に釣堀があったところ)が写りこんでいないではないか。撮影する角度を変えても突端は写り込むに違いない……やはりこのロケ地は長者ヶ崎ではない別のどこかなのだろうか。
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ちなみに国土地理院が公開している空中写真による長者ヶ崎を昭和21年撮影分・昭和38年撮影分・令和元年撮影分で見比べた印象では、昭和31年当時の長者ヶ崎南岸=秋谷海岸側はおそらく引き潮になれば突端まで歩いて行ける程度には砂浜が現れていたのではないだろうかという気がしている。長者ヶ浜緑地がいつから立ち入り禁止になったのか葉山町役場に問い合わせてみたが、だいぶ昔から立ち入り禁止なのでわかる者がいないという返事であった。
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最後に、昭和31年10月7日付の「西日本スポーツ」に掲載された関沢監督へのインタビュー記事には、葉山ロケと同日に撮影されたのではないかとおぼしきスナップ写真が掲載されている。写真に付けられたキャプションは「空想の所産ロボットの手を握る関沢新一監督」で、撮影地についての言及はない。
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これが仮に長者ヶ崎で撮影されたものだとすると、背景から考えて岬の突端のこの位置(※Googleマップ・3D表示から作成)で撮られたものではないかと思われるのだが――
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写真からもわかるように長者ヶ崎南側に続くと思われる断崖は海水が満ち、そちらから徒歩で来ることはできない。この位置に立つためには長者ヶ崎北側の大浜海岸からボートで上陸するしかなさそうだが、撮影するシーンもないのに着ぐるみを連れてそこまでするだろうか? ちなみに大浜海岸でライフセーバーらしき方に写真を見てもらい、この地形が長者ヶ崎の突端ではないかと尋ねたところ「ああ、全然ちがうちがう」と一笑に付されてしまった。

海岸のロケ地がどこなのか調べるのはもう諦めることにした。数枚のスチル写真と頼りない新聞記事しか情報がないからだ。では、もっと詳しい情報があれば特定できるのだろうか? たとえば特徴的な洋風建築、法人の看板、目立つランドマークなど……。情報が多いに越したことはないだろう。だが近年になって私は「もしかしたら特定できるかも」などという淡い期待に踊らされて永遠に考察沼から抜け出せないのではないか……という漠然とした不安を感じるようになり、いい加減に引き際というものを自覚すべきではないかと自問自答するようにもなってきた。今回、ロケ地が特定できないままでありながら、これまでの考察過程を公開し後続の研究者諸氏に後を委ねる心境に至ったという次第である。

――ここはどこなんだ!
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posted by 猫山れーめ at 01:27| Comment(0) | 空飛ぶ円盤恐怖の襲撃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月09日

「PZFジェット機」は本当に誤植だったのか

2006年12月29日(コミケ71の1日目)合わせで「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃 作品解題」を発行した際、可能な限り原本の表記を忠実に再現するという方針をとったので、明らかな誤植であってもそのままテキストに起こした。
ふつう全集などの巻末で複数の作品を個別に解説していく「作品解題」を誌名にしたのは、今にして思えばくだらない考えすぎが発端だったと記憶している。
ほぼ20年ぶりに他人の著作物を再録した同人誌を作るのにあたり(※これ以前に私が他人の著作物を復刻したオフセット同人誌には漫画家の寺島令子先生の学生時代の作品を再録した1988年8月1日発行「寺島令子初期作品集」があった)、これを建前上は私の著書(映画研究書)とし、脚本はその参考資料として採録する形をとったほうが、何かあったときに関沢新一サイドに迷惑をかけずにすむのではないか……とその時は考えたのだ。当時の窓口であった日本シナリオ作家協会に問い合わせて、脚本を採録するのに映画製作会社から許可を得る必要はないと確認ずみではあったが、晩年の関沢氏がこの話題から避けていた様子を他の作家の著作から2例見かけていたこともあって、思わぬ方面から揚げ足を取られることが無いよう著作権法やら判例やらを調べまくって自己防衛にも努めていた。

私自身は「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」を見たことが一度もない。中学生のころガンプラに惹かれて手に取った1981年夏の朝日ソノラマ「宇宙船」vol.7をリアルタイムで読んでいながら、そこに大きく掲載されている怪ロボット・ダレスのスチル写真は「古典SF洋画のロボットだな」と思い込んで読み飛ばしていたくらいだった。
その後、大学生となって図書室の書庫に入ったとき「朝日新聞縮刷版」の存在を知ると、失われたはずの過去のテレビ番組がそこに息づいているのを見てすっかりイカレてしまい、毎日のように書庫へ入り浸るようになり、やがて色々なドラマのサブタイトルリストを作り始めた。余談だが、この当時に毎週○曜日の○面に該当するページを何千日分もめくり続けていたおかげで、今でも7日おきの日付を頭の中でスムーズに思い浮かべることができる。そうしているうちに朝日新聞縮刷版の昭和31年11月号のとあるページで今まで見たこともない特撮映画の広告が目に入った。そこには「M87星雲が地球を総攻撃!」という惹句が踊っている。「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」という身も蓋もないタイトルに、私はなぜか強く興味を惹かれた――

――どうも「記憶をたどりながら書く」と話が脱線していけない。要は、その後「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」は脚本を読んだ限りでは面白そうなのになんだか不当に評価を貶められているのはなぜだろうと感じ、文献を調べていくうちに、どうやら今では映画を実際に見て評価できないらしい、それで公開当時のキネ旬の映画評でケチョンケチョンに叩かれてるからみんな右へ倣えしているようだ(評価の内容が似通っていて、なかには孫引き・曾孫引きらしきものまである)、でもキネ旬のバックナンバー辿ったらこの戸田隆雄ってひと戦前から辛口批評ばっかりしてるじゃないか、大伴昌司も1969年の「世界SF映画大鑑」でケチョンケチョンだけどどうやらテレビで見ての感想らしいし、成熟した60年代SF映画と比べて語るなんてフェアじゃない、こういう流行・トピックスに便乗した映画=いわば「トピック・ムービー」は時代を問わない永遠の視点から値踏みするのではなく、1956年当時の大衆ニーズという視点から価値を見直さなきゃいけないんじゃないだろうか?……そういう動機から始まって、脚本を復刻して多くの人が手軽に読めるようになれば、再評価につながるんじゃないかと思ったのである。

「日本初期SF映像顕彰会」という名称も、個人で当時の関係者等に手紙を出しても相手にされないと思って考えた架空の団体名だった。言ってしまえば独り親方である。主演の高嶋忠夫を含め、所属事務所がわかる関係者には可能な限り手紙を出したが、返事は1通もこなかった。「作品解題」は200部印刷したが、コミケ71で売れたのは80冊だった。これでもよく売れた(「売れる」=大切なお金を払ってでも興味を持ってくれる人がいる、と私は認識している)と思うが、当時は120冊を持ち帰ることになり呆然としたのを覚えている。その後、特撮関係の本で名前を見かけるライターの方々へ、無礼にも一方的に「読んでください」と郵便で送りつけたり、専門書店に委託させてもらったり、小規模なSF関連の集会で手売りしたりして、少しずつ在庫を減らしていった。とあるライターの方から「興味があるので通販方法を教えてください」と連絡があり、日本中誰もが知るビッグネームの方だったので舞い上がって「先に本を送るので届いたら代金をお願いします」と送ったら、贈呈されたと思われたのかお金を払ってくれなかったこともあった。完売するまでの期間はよく覚えていないが、コミケ74終了時の記録では在庫12冊、コミケ75では販売実績の記録がないので、複数のイベントに参加費と旅費を払い積極的に参加して何とか2年で片づけたようだ。

また脱線してしまった。「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃 作品解題」発行から11年が過ぎた2017年12月30日(コミケ93の2日目)、今度は主従を逆転させることなく「著:関沢新一」として正規の脚本集「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」を発行することにした。11年の間に関沢新一の著作権管理は日本シナリオ作家協会から個人弁護士事務所に移っていたが、幸いにも許諾を得ることができた。
私が2011年から始めた新書版での同人誌では、これまでのB5判同人誌が出典元の資料性を第一に考えて旧字旧かなはもちろん誤植も忠実に再現しており、それがかえって今の読者と古典作品との間に壁を作っているのではないかと反省した結果、誤植や旧字旧かなを私個人の責任で改めることにしたシリーズでもある。所有していた「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」の台本は誤植だらけだったので、これを改めることは脚本家の本意にも添うことだと思っており、迷いは無かったのだが、ある部分のセリフで私のタイピングの手はハタと止まってしまった。「PZFジェットって何だ……?」

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決定稿の中で、東京のどまんなかに現われた円盤を牽制するために三機編隊のジェット機が飛んでくる。これをおそらく自衛隊員が「只今、PZFジェット三機、間もなく上空に現れます」と知らせてくるシーンである。
私はミリタリーに詳しくないので当時そういう略号の軍用機があったのかもしれないと考え「PZF」というジェット機を検索してみたがヒットしない。もちろん対戦車兵器パンツァーファウストでないのは明らかなので除く。酣燈社の1955年版「世界航空機年鑑」を取り寄せてみたところ、Pで始まるのは米海軍の哨戒機だとわかったが、次のZを使う会社記号がない。仮にZが2の誤植で「P2F」だったら「グラマンが2番目に製造した哨戒機」という意味になるらしい。劇中ではこれがジェット機の3機編隊で、円盤をかすめて飛ぶという描写からちょっと違う気がする。レシプロ機のP-36 ホークは1954年には全機退役している。
このセリフは準備稿だと「只今、所沢の極東米空軍基地より連絡がありました、ジェット機三機円盤偵察のために出発、まもなく上空に現れるとの事です」となっている。もし「PZF」が「極東米空軍基地」の略称であれば辻褄が合うはずだ。検索したところ昭和31年当時の所沢にあったアメリカ極東空軍の略称はFEAF(Far East Air Force)だった。私はガックリした。やはりこれは肉筆で書かれた縦書きの「F86」が「PZF」に見えてそのまま活字を組んでしまったものなのか……。決定稿では三機のジェット機がどこの所属の機かについては触れられていない。F86-Fはこの頃には既に自衛隊に配備されている。当時のTBSの特撮SFテレビドラマ「遊星人M」の第10話でも「現にアメリカでは最新鋭・高性能を誇るスターファイターというジェット戦闘機も、ミサイルすなわち誘導兵器のナイキ、ファルコン、スパローさえも円盤の前には何の効力も発し得なかったといわれています。ましてや我が自衛隊の保持するF86F戦闘機が要撃に向かったとて……」というセリフがある。当時の日本人にはそれなりに馴染みのある名称だったはずだ。

私は腹を括って、このセリフを「只今、F86ジェット三機、間もなく上空に現れます」に改め、印刷所に入稿した。

新書版を発行してしばらく経つと、将来『空飛ぶ円盤恐怖の襲撃』がブルーレイなり劇場公開なりで見られるようになったとき劇中で『ピー ゼット エフ ジェット』と発音されていたら……という想像が私を悩ませるようになった。さらにアメリカ版Wikipediaを調べたところ所沢にあったFEAFに属する一部門として太平洋空軍(Pacific Air Forces)があったということも知った。「PZF」は「PAF」の誤植なのか、それとも実在の軍隊の名称を避けてわざと「PZF」と書いたのだろうか。

私としては一語たりとも軽い気持ちで選んではいない。その時その時での最善を尽くしているつもりである。誤植と判断した時は、それなりにそう判断できる材料が少しだけ他を上回っていたのだ。JESFTV第2号で「大怪獣ゲボラは撮影されていないのでは」と問題提起した時も、撮影されていたという証言の存在を知らなかったのだ。ただ、私が事実誤認をしたおかげで貴重な証言を教えてもらえることができたのは怪我の功名であったかもしれない。

この今でも私を煩悶させ続けている爆弾を孕んだ新書版脚本集「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」は、残酷なことに(2021年4月の時点で)まだ50冊ほど在庫が残っている。
posted by 猫山れーめ at 03:00| Comment(0) | 空飛ぶ円盤恐怖の襲撃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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