2021年04月30日

ジェット・ジャクソン(Jet Jackson, Flying Commando) 放送リスト

「Jet Jackson, Flying Commando」は1954年9月9日〜1956年1月21日にかけてアメリカCBSで放映された全39話から成る冒険テレビシリーズである。日本ではKRT(ラジオ東京テレビ、現:TBSテレビ)が「ジェット・ジャクソン」の邦題で1957年4月から翌58年1月まで9ヵ月に亘って放送した。製作は数多くのハンナ・バーベラ製アニメやホームコメディ番組を配給したことでも知られるスクリーン・ジェムス(Screen Gems)。

本作を動画検索すると内容がほとんど同じであるにも関わらずタイトルが「Jet Jackson, Flying Commando」となっているものと「Captain Midnight」となっているものが見つかるが、このようなバージョン違いが生じた理由について簡単に説明していこう。JetJackson_01.jpgJetJackson_02.jpg

まず、この番組はもともと1938年から1949年まで続いた戦前の大人気ラジオドラマ「Captain Midnight」がベースになっている。本作の主人公ジム・オルブライト大尉は元・第一次大戦のエースパイロットで、かつて過酷なミッションをやり遂げ深夜12時の鐘とともに帰還したことから「キャプテン・ミッドナイト」との異名で呼ばれている。第二次大戦を前に組織された民兵組織シークレット部隊にスカウトされ、日夜スパイや傭兵部隊からアメリカを守って戦うという筋書きだ。シリーズを通しての敵は国際傭兵組織の首領イヴァン・シャークとその一味だったが、ラジオドラマ放送中に太平洋戦争が始まるとナチスのフォン・カープ男爵や日本海軍のヒマキト提督といった枢軸国側とも戦うことがあった。このイヴァン・シャークは後のTV版にも登場している。また当時アメリカの子供たちの間で流行っていた暗号解読バッジ(Secret decoder ring)が本作でも「コードオーグラフ(Code-O-Graph)」という名のスポンサーノベルティとして配布され、これをを使ってドラマ劇中の暗号を解読すると次週の展開のヒントがわかるというリスナー参加型のギミックが大いに受けた。子供向けの冒険活劇ではあったが、愛聴者の半数は大人が占めていたとも言われている。

1942年にはデイブ・オブライエン主演で全15回からなる連続活劇映画も作られた。これは戦後「Captain Midnight's Adventure Theatre」という枠名で1953年から翌1954年にテレビ放送されたが、その後を受けて始まったのがリチャード・ウェッブ主演の新作テレビドラマシリーズ「Captain Midnight」である。こちらもまたリアルタイムの世相を反映し、キャプテン・ミッドナイトの来歴は元・朝鮮戦争で活躍したエースに変更。その他のレギュラーにオラン・ソウル演じるシークレット部隊の頭脳「アリストテレス・ジョーンズ博士」(通称タット博士)、シド・メルトン演じる三枚目のメカニック・マン「イカボッド・マッド」(通称イッキー)を加え、ひとたび事件が起これば丘の上のドーム型秘密基地から最新鋭機ダグラスD-558-2スカイロケット「シルバーダート号」で駆けつける、科学時代のニュー・ヒーローへと衣替えした。もちろん視聴者向けの暗号解読コーナーも健在で、ラジオドラマ時代からスポンサーをつとめるワンダー・カンパニーの麦芽飲料オーバルティン(Ovaltine、日本では1977年9月にカルピス食品工業が「オバルチン」の商品名で発売したことがある)を買って瓶の内蓋シールを送ると暗号解読バッジを貰うことができた。

……ちっとも簡単な説明じゃありませんでした。端折りますけどここからが本題です。

CBSでの放映を終えた「Captain Midnight」は1958年までにシンジケーションを通じて番組販売されることが決まっていたが、「Captain Midnight」という名称の権利は旧スポンサーであるワンダー・カンパニーがガッチリ握っていた。困ったスクリーン・ジェムスは主人公の名前を変更することを決意、セリフにある全ての「Captain Midnight」を「Jet Jackson」に吹き替え直し、タイトルボードを「Jet Jackson, Flying Commando」に差し替えた(もちろんオーバルティンのCMを兼ねた暗号解読コーナーもカット)。

こうした紆余曲折を経て日本でも放映されるようになったものが「ジェット・ジャクソン」というわけである。放送枠は毎週土曜の19:30~20:00、秋季改変期の第25話からは30分繰り上がって19:00~19:30となった。声の出演は真木恭介(ジェット・ジャクソン)、緒方敏也(タット博士)、太宰久雄(イッキー)。タット博士とイッキーの声優は逆かもしれない。誤りがあったら挙証資料を添えてコメント欄からご教示ください。

米国では全39話だがKRTでは3本も再放送する余裕があるにも関わらずトータル38話分しか放送されていない。これはおそらく米国版第35話(S2E9)「The Jungle Pit」がKRT放送時には欠番とされたためではないかと思われる。「The Jungle Pit」はジェット・ジャクソン(=キャプテン・ミッドナイト)とイッキーが行方不明の父親を探す日本人青年ジェリーに協力する話で、旧日本兵だった父キサノは今も太平洋の島に隠れ続けているという設定。ジェリー役はDominique De Leon、キサノ役はKazuo Togo=グレート東郷が演じた。JetJackson_03.jpgJetJackson_04.jpg

【1957年】19:30~19:00 枠 
1 04/13 放射能元素0
2 04/20 消えたロケット
3 04/27 誘導弾X
4 05/04 足のない幽霊
5 05/11 魔境に戦う
6 05/18 氷点下の恐怖
7 05/25 ダイヤモンド密輸団
8 06/01 ファラオの呪(のろい)
9 06/08 贋造紙幣
10 06/15 失われた人工衛星
11 06/22 鉄格子の裏の謀略
12 06/29 空をゆく密使
13 07/06 秘密の島
14 07/13 地下室の謎
15 07/20 電気博士の恐怖
16 07/27 狂人博士と殺人音波
17 08/03 爆弾魔の復讐
18 08/10 大森林の秘密
19 08/17 見えざる恐怖
20 08/24 人工台風
21 08/31 北極上空の謎
22 09/07 ねらわれた新兵器
23 09/14 十代の犯罪
× 09/21 (※ボリショイ・バレエ団「コッペリア」公演中継番組のため中止)
24 09/28 恐怖の脱走
25 10/05 秘密の部屋(※これより19:00~19:30 枠に移動 )
26 10/12 謎の根拠地
27 10/19 死の短剣
28 10/26 冷凍人間
29 11/02 原爆スパイ団
30 11/09 海底の宝石
31 11/16 潜入者
32 11/23 迷信の山
33 11/30 火の山
34 12/07 百万ドルのゆくえ
35 12/14 失われたスーツケース
36 12/21 ダイヤモンドの秘密
37 12/28 死のロケットパイロット

【1958年】
38 01/04 白昼の誘拐
EX 01/11 人工台風(※第20話の再放送)
EX 01/18 失われた人工衛星(※第10話の再放送)
EX 01/25 ファラオの呪(※第8話の再放送、「最終回」の表示あり)
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2021年04月29日

雛形モゲラの新聞記事

1957年の東宝特撮映画「地球防衛軍」にはモゲラというロボット怪獣が登場する。その姿から一見すると破壊活動を目的としたモンスターだが、特撮ファンの見解によるとこれは単なる侵略ロボットではなく遊星人ミステリアンが地下基地建設に使った土木作業ロボットなのだそうな。とはいえ劇中のモゲラはやはり破壊活動を行なう。映画前半の早い段階で登場し、目から青白い火球(プラズマ?)のようなものを発射して田舎町を焼くが、最後は自衛隊の罠にかかって崖から落とされる。その後、国会での報告シーンで「モゲラの残骸を分解して調べた」と言っていたから所詮は金属製品、動かなければ地球人でもバラせるようである。

個人的には、劇中に登場したモゲラよりも雛形として作られた粘土原型のモゲラが大好きだ。劇中とはプロポーションがまるっきり違うので、こちらは特撮ファンの間では通称「雛形モゲラ」または「粘土原型モゲラ」と呼ばれて区別されている。私が雛形モゲラを好きなのは幼少のころブルマァク製のモゲラのソフトビニール人形を持っていたという思い入れのせいかもしれない。当時のソフビ人形モゲラは劇中のプロポーションではなく雛形モゲラをモデルに作られているのだ。

雛形モゲラのスチル写真は専門書やムックで「地球防衛軍」が取り上げられる時にしばしば掲載されることがある。屋内でのモノクロが4種類と屋外でのカラー写真が1種類だっただろうか。もっとあるのかもしれない。日本テレビが昭和34年4月から翌35年1月まで放送していた「日立ファミリースコープ」に円谷英二がゲスト出演した回(記憶違いでなければカラー実験放送回)ではスタジオに「地球防衛軍」のミニチュア・ジオラマが展示されていたが、ここにいたのも雛形モゲラだった。当時日テレが発行していた広報誌「月刊NTV」にそのときのスナップ写真がカラーで掲載されていて、円谷英二研究で知られる竹内博さんが「私が知る限り最も早い時期の円谷英二のカラー写真です!」とおっしゃるので差し上げてしまったから、今では何年何月号だったか分からないままになっている。

今回なぜ急に雛形モゲラの話など始めたのかというと、海外ドラマ「ジェットジャクソン」のサブタイトルリストでも紹介しようかなと思って朝日新聞をめくっていたらこんな記事が出ていたのである。Mogera01.jpg
お次はモゲラ 東宝の怪物映画
空想映画が得意の東宝撮影所でゴジラ、ラドンに次ぐ三番目の怪物「モゲラ」が誕生した。こんど製作する『地球防衛軍』の主人公になる。これまでの単なる怪獣映画から脱皮して、こんどは本格的な空想科学映画を、というのがスタッフの抱負で、このモゲラもゴジラ、ラドンに似た怪物だが、中身は歯車やゼンマイなど、機械ばかりのロボットということになっている。
完成間近のハリボテの原型をみると、背中に円いノコギリ盤がついており、鼻先や手足の指は土を掘るドリル、目玉には電気がついて放射能を発するというもの。
物語は、宇宙に浮ぶ遊星ミステロイドで原水爆戦争の結果、人が住めなくなり、宇宙人たちは宇宙船に乗って地球に安住の地を求めてくる。そしてこのモゲラを電波で操縦して、地中に都市を築き、地球を侵すというもの。地球防衛軍はさまざまの新兵器を使って彼らを追い出すのだが、それらの兵器とともに、人工衛星、宇宙船、地下王国など、自慢の特殊技術を駆使する効果が見ものになろうという。
(「朝日新聞」1957年7月26日 夕刊5面より)


……いくら「完成間近のハリボテの原型」と断ってあるとはいえ、本当に造形中の状態を全国紙にのせる人がありますか。Mogera02.jpg
キャタピラの鎧や螺旋ドリルの嘴がないこの状態ではまるで子供が遊びで作った粘土細工のようだがプロポーションは確かに雛形モゲラだ。ここからあのシャープでメタリックな雛形モゲラにまで仕上げるのだから造型家の腕にはただただ驚かされる。それにしても朝日新聞、7月26日掲載とは相当早いスクープ写真のような気がする。現場が「いやまだこれ出来てないから困ります」と渋るのを「いいからいいから」とかいって撮っちゃったんだろうか。
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2021年04月12日

53年前の資料系同人誌「TVSF番組名鑑」全文再録

同人誌のうち、創作ではなく記録や調査研究を掲載した資料的価値が生じているものは現在「資料系同人誌」というジャンル名で呼ばれている。資料系同人誌と呼べるもの自体は昭和の昔から発行されていると思うが、ジャンルとして注目されるようになったのは2009年に大手古書店「まんだらけ」の主催で資料系同人誌即売会「資料性博覧会」が開かれるようになってからだろう。この催しは年一回のペースで続けられており今年で12年目を数える。

特定分野のファンによる同人誌は1980年代まで「ファンジン」という通称で呼ばれていた。英語版Wikipediaで「Fanzine」の解説を読むと1940年10月にラス・ショーヴネがSFファンダムで用いた造語が発祥だという。この英語版Wikipediaの「Fanzine」は日本版Wikipediaにリンクされておらず、日本版Wikipedia「同人誌」から英語版Wikipediaにリンクされている項目は「Doujinshi」となっている。アチラのニュアンスでは何が違うのかと斜め読みしてみたが、由来はともかく現在ではこれといって創作・二次創作・記録研究との違いではなさそうだ。現状ではどうも映画やロックミュージックといった三次元分野のファン同人誌が「Fanzine」、漫画やアニメなど二次元分野のファン同人誌が「Doujinshi」として棲み分けられているようにも感じる。一方、日本ではファンジンという呼び方は廃れてしまい、商業出版でなければ全て「同人誌」で一括りにされているような感がある。機関紙・会報・ミニコミ誌は個人が発行しても通常「同人誌」とは呼ばれないが、それは本来目的としている掲載内容が会員同士の情報共有や連絡周知だからであり、継続的に創作や研究発表の場として使われるようなら「同人誌」と呼ぶのが相応しい場合もある。

話が取っ散らかってしまったが、SFファンジンのうちSF作品についてデータを記録収集したり研究結果をまとめた同人誌、つまり今でいう資料系同人誌はいつ頃から存在していたのだろうか――というのが今回のお話。

朝日ソノラマ刊「季刊 宇宙船」1980年2月創刊号ではSF映画のファンジン特集が組まれ「PUFF」「衝撃波Q」「コロサス」等の主宰者座談会や論文が再録されている。何年か前にテレビドラマとなった「怪獸倶楽部」の発足は1975年らしい。機関紙や会報も含めるなら1953年発足の日本宇宙​旅行協会会誌「宇宙旅行」や1956年発足の日本空飛ぶ円盤研究会会誌「宇宙機」も誌面にデータの記録収集・研究報告がみられるが、テレビ番組の放映データ紹介はあくまでもワン・コーナー扱いなので会報そのものを資料系同人誌と呼ぶのには少々無理がある。「宇宙機」では柴野拓美がまるまる1ページを費やして邦画特撮「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」をレビューしたりもしているが、冊子のすべてをSF作品の記録研究に費やした同人誌はまだ現われていない。ちなみに「宇宙機」から柴野拓美らを中心にSF小説愛好家が枝分かれしたのが科学創作クラブ会誌「宇宙塵」なので「宇宙機」には「宇宙塵」の広告がよく載っている。

少なくとも資料系同人誌の歴史はここまでさかのぼれる、という一例を入手したので紹介したい。下記書影は「怪獸倶楽部」が発行される7年前、第一次怪獣ブーム真っ盛りの1968年に発行された同人誌「TVSF番組名鑑」である。
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内容は誌名が示す通り、国内でテレビ放映されたSF的要素を含む番組を可能な限り収集列記した総目録である。発行日は1968年3月1日となっているが、掲載されている番組に1967年以降のものがないため、おそらく1966年末頃には編纂が完了していたと推測される。
著者は当時の「宇宙塵」会員であり現在も「ハードSF研究所」公報誌上で古典SFに関する執筆を続けているSF研究者の大先輩、島本光昭氏。各作品に添えられている寸評は相当な辛口だが、それらは全て1966年当時の視聴者が抱いた飾らない生の感想である。後の特撮ブームやアニメブーム、ハリウッド製大作SF映画を体験した後ではそれらがバイアスとなりかねないので、リアルタイムの感想は貴重な歴史の生き証人といえるだろう。
シャボン玉ホリデーの番組中に放送されていたという「鉄腕P」や、小松左京原作の「ああ夫婦」、三島由紀夫原作の「美しい星」、安部公房原作の「お気に召すまま」なども等しく取り上げている点には、当時のSFファンが持つ視座が現在「SF番組」とカテゴライズされている番組の視座とは異なるものであることを予感させないだろうか。着眼点の差異といえば、「ウルトラマン」の題名を「ウルトラQ・ウルトラマン」と表記してあるのも、なるほど先入観なしにあのOPを見たらそう受け取る人もいるかも……と納得することしきりである。

今回、著者である島本光昭氏のご厚意で「TVSF番組名鑑」の内容をJESFTV・日本初期SF映像顕彰会のウェブサイトに転載させていただけることになった。当方が入手した原本は謄写版印刷の紺色インクが所々掠れ、また本文の更紙が経年で変色しており、あまり閲読向きの状態ではないこともあり、Web再録にあたっては全文をテキストに打ち直し、索引を設けて希望の項目に飛べるよう便宜を図ってある。なお原本に含まれるデータの欠落や誤記は歴史的価値を鑑みて一切訂正していない。私も直したい埋めたいという気持ちを必死で堪えたのでどうかご理解いただきたい。

下記リンクから該当ページに飛べます。
http://jesftv.in.coocan.jp/NOVA_BOOKS.html
posted by 猫山れーめ at 14:40| Comment(0) | 古書(SF) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月07日

「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」まぼろしのロケ地をさぐる

「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」といえば真っ先に思い浮かぶこのスチル、はたしてロケ地はいったいどこなのだろうか……というお話。オチを先に明かすと資料の少なさと現地の変化のため特定には至っていない。それでも良ければ読んでください。
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本作で怪ロボット・ダレスと俳優が絡む海岸シーンは「①太陽族のキャンプに現われる怪ロボット」「②高島・江畑のモーターボート操縦と海中散歩」「③高島・江畑の浜辺での語らいとそれを襲う怪ロボット」の3つあり、劇中の設定ではいずれも駿河湾に面した静岡県の「伊豆の西海岸」ということになっている。
都内各所でのロケについて推測できるような材料はほとんどないが、遠方でのロケは当方のウェブサイト「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃 文章資料集」でも紹介してあるように当時のマスコミでこまめに報道されているため、この中からロケ地を探る手がかりを探してみよう。

マスコミが報道した記事のうち「真鶴での海中撮影」と読み取れるロケは新東宝特殊技術課が昭和31年9月7日に行なったものであることが判明している(日本映画技術協会の機関誌「映画技術」第64号や「朝日新聞ジュニア版」9/30号の記事にて明記)。このとき新東宝特殊技術課が行なったのはプリンプとよばれる防水性の外殻に仕込んだカメラを使っての海中撮影で、これは前月16日から日本で公開され美しい海中撮影シーンが話題を呼んだ仏伊合作映画「沈黙の世界(Le Monde du silence)」に影響されての意欲的な挑戦だったが、水温や水流、透明度など様々な要因によって思うように撮れなかったと前述の「映画技術」誌にスタッフが反省の弁を記している。翌年、新東宝は「海女の戦慄」などでヒロインの水中遊泳シーンを実現しているが、この時の失敗を教訓としたのだろうか、水中遊泳シーンはおそらく海中ではなく水槽を使って撮影しているように感じられる。

本作は9月2日に特撮シーンの撮影からクランクインし、本編撮影は9月6日開始を予定していたが、キャスティング上のトラブルによってずれ込み、「サンケイスポーツ」が9月11日号で「高島忠夫、江畑絢子に決定」と報じるまでは主演俳優すら決定していなかった。このことから9月7日の真鶴ロケには高島・江畑の同行はなかったと推測している。9月18日「新夕刊」の記事では「二人が海中に飛びこむ場面で、神奈川県真鶴海岸で撮影された」と報じられているが、背格好が似ている代役を使えば俳優本人が飛びこまなくても撮影は可能だろう。

真鶴と判明した海中撮影以外で、ロケについて触れた報道には次のようなものがある。
9/22付 名古屋タイムズ「伊豆ロケ、水中撮影からクランク・イン」
9/27付 東京中日新聞「葉山ロケ
10/8付 オールスポーツ「このほど行われた伊豆静浦ロケで、この気味の悪い怪物に抱きすくめられた江畑」(10/9付 夕刊京都も同じ)
10/11付 東京中日新聞「葉山ロケ
11/3付 週刊東京「円盤の中から出現したロボット 強烈な光線を吐き すべてのものを燃焼させるが無気味な姿を葉山海岸に─」

このうち9月22日付「名古屋タイムズ」にある「伊豆ロケ、水中撮影からクランク・イン」の「伊豆ロケ」は、実際のクランクインが真鶴海中ロケで始まっていることから、「伊豆での撮影」ではなく「劇中でいう伊豆西海岸シーンの撮影」という意味であろう。
10月8日付「オールスポーツ」の記事は文脈のまま解釈すれば③のシーン(冒頭で示したスチルと同じ同一ロケ地)が劇中設定のとおり伊豆西海岸の沼津市静浦で撮られたことを指しているようなのだが、国土地理院の空撮を見た限り、静浦には冒頭のスチル写真に見られるような“浜辺の真後ろに断崖が突き出ている地形”が見当たらない。静浦は当時から漁港として栄えている町で、浜辺があればそこには引き揚げられた漁船がひしめき合っており、とても“恋人同士の語らい”に使えそうなロケーションとは思えない。
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この中で最もスチルに似通っているのは現在“多比港新護岸"がある岬の突端(左図の赤枠部分)だろうか。当時はまだ県道414号が貫く多比第一隧道は無く(昭和37年3月竣工)、漁船溜まりとなっている砂浜を越えて突端まで歩いていけばスチル写真に近いロケーションが得られたであろうと考えられる。
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しかし……8年後に関沢新一が脚本を手がけた「モスラ対ゴジラ」の静浦ロケ(劇中では「静ノ浦」)のように漁村を巻き込むほどのメイン舞台となるならともかく、伊豆箱根をわざわざ超えて、こんな小さな岬の端っこの小さな浜辺でデート場面を撮るのだろうか?という疑問が拭えないでいる。「伊豆静浦ロケ」というのはイメージとして伝えた方便か、静浦ロケが実在したとしても冒頭のスチル写真の撮影地とは異なるのではないかと思う。

「東京中日新聞」は9月27日付と10月11日付の記事で「葉山ロケ」と報じている。同様に「葉山」という地名を出しているのが「週刊東京」11月3日号の記事で、文脈から①太陽族のキャンプ地にあらわれる怪ロボットのシーンを指しているようなのだが、このスチル写真の背景に写りこんでいるようななだらかな稜線の見える浜辺(※建築物が間近にみえることから、そう大きくない入り江と思われる)もまた、葉山近辺には見当たらない。実際に葉山町を訪問し、大浜海岸および森戸海岸で地元の方に聞き取り調査を行なった際には、誰もこのような稜線に見覚えはないようであった。
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「葉山」にこだわらなければ、これに近いロケーションが「真鶴」にある。岩海岸(岩海水浴場)は浜辺が描く孤の適度な大きさといい、稜線や建築物の大きさといい、このスチル写真にかなり近い。昭和31年当時は背景にまたがる岩大橋も無かっただろうし、浜の護岸工事や稜線の法面保護工事もされていなかったのだろう。これはあくまで推測であり、確証は得られていない。
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実は私は、冒頭スチル写真のロケ地が葉山町と横須賀市秋谷にまたがる景勝地・長者ヶ崎の南側の浜辺ではないかと、かねてから目星をつけていた。葉山町を訪問したのはGoogleマップのストリートビューや3D表示では確認しきれない確証が欲しかったからだ。
ネット検索で得られる情報によれば昭和30年代までは南側一帯の海岸も海水浴場としてにぎわっていたという。戦前の古写真(絵葉書)では岬にはもっと砂や土が残っており、県道から斜めに降りて行ける道もあり、長者ヶ崎の突端にはりっぱな釣堀が写っている。有名な観光地であれば映画のロケ地に使われることは十分にあり得るではないか。
ところが現地へ行ってはじめて、ここが単なる観光地ではなく、現在では県有トラスト緑地「長者ヶ崎緑地」に指定されており、加えて、岩盤がたびたび崩落し危険であることから付近への立ち入りが禁止されていることを知った。おまけに嘘か本当か「近隣住民がどこからか監視していて不審な人物がノコノコ近づくとたちまち通報されて警察が来るぞ」とまで聞かされたのである。とはいえ岬の周辺の海上には、大学のヨット部かカヌー部なのか一般サーファーなのかわからないが、その道ひとすじとおぼしき人が大勢いる。そういう人であれば地元では不審者とは見られないということであろう。
私は浜へ降りるのは諦め、南側に伸びる秋谷海岸のはるか上にある県道134号線のカーブ手前からデジカメを突き出して眼下を望遠撮影してみた。わりあい冒頭のスチル写真に近い構図の写真が撮れたのでそれで納得することにした。
いま見比べてみると、スチル写真には長者ヶ崎の「突端」(戦前に釣堀があったところ)が写りこんでいないではないか。撮影する角度を変えても突端は写り込むに違いない……やはりこのロケ地は長者ヶ崎ではない別のどこかなのだろうか。
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ちなみに国土地理院が公開している空中写真による長者ヶ崎を昭和21年撮影分・昭和38年撮影分・令和元年撮影分で見比べた印象では、昭和31年当時の長者ヶ崎南岸=秋谷海岸側はおそらく引き潮になれば突端まで歩いて行ける程度には砂浜が現れていたのではないだろうかという気がしている。長者ヶ浜緑地がいつから立ち入り禁止になったのか葉山町役場に問い合わせてみたが、だいぶ昔から立ち入り禁止なのでわかる者がいないという返事であった。
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最後に、昭和31年10月7日付の「西日本スポーツ」に掲載された関沢監督へのインタビュー記事には、葉山ロケと同日に撮影されたのではないかとおぼしきスナップ写真が掲載されている。写真に付けられたキャプションは「空想の所産ロボットの手を握る関沢新一監督」で、撮影地についての言及はない。
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これが仮に長者ヶ崎で撮影されたものだとすると、背景から考えて岬の突端のこの位置(※Googleマップ・3D表示から作成)で撮られたものではないかと思われるのだが――
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写真からもわかるように長者ヶ崎南側に続くと思われる断崖は海水が満ち、そちらから徒歩で来ることはできない。この位置に立つためには長者ヶ崎北側の大浜海岸からボートで上陸するしかなさそうだが、撮影するシーンもないのに着ぐるみを連れてそこまでするだろうか? ちなみに大浜海岸でライフセーバーらしき方に写真を見てもらい、この地形が長者ヶ崎の突端ではないかと尋ねたところ「ああ、全然ちがうちがう」と一笑に付されてしまった。

海岸のロケ地がどこなのか調べるのはもう諦めることにした。数枚のスチル写真と頼りない新聞記事しか情報がないからだ。では、もっと詳しい情報があれば特定できるのだろうか? たとえば特徴的な洋風建築、法人の看板、目立つランドマークなど……。情報が多いに越したことはないだろう。だが近年になって私は「もしかしたら特定できるかも」などという淡い期待に踊らされて永遠に考察沼から抜け出せないのではないか……という漠然とした不安を感じるようになり、いい加減に引き際というものを自覚すべきではないかと自問自答するようにもなってきた。今回、ロケ地が特定できないままでありながら、これまでの考察過程を公開し後続の研究者諸氏に後を委ねる心境に至ったという次第である。

――ここはどこなんだ!
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posted by 猫山れーめ at 01:27| Comment(0) | 空飛ぶ円盤恐怖の襲撃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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